
阿竹智史選手2005年に小松島競輪でデビュー。
デビュー戦1着を取り
続く二日目も1着で完全優勝に王手だったが
決勝レースは7着に落ちてしまった。
その3か月後には高松競輪で完全優勝しており
一気に名を上げるが
元々学校成績は2位と圧倒的だった部分もあり
早期勝利で一躍有名選手に名乗りを上げたのは
想定範囲だった。
2年も経たずにS級へ昇格。
そのため2009年からグレードレースに出場するも
その後は鳴かず飛ばず状態であったが
12年に豊橋記念GⅢで初記念競輪を優勝する。
現在38歳とベテラン選手の域に入っている。
グレードレースには多く出場しているも
記念競輪2度優勝のみで
それほど真だった活躍が出来ていない
状態であるのは言うまでもない。
強豪徳島県の選手としてもう少し
成績を残してほしいのが地元ファンの願い。
S級1班には9年~ずっと走っているだけに
まだまだ期待していしまうのは
彼の走りが力強い証拠だ。
▼阿竹智史選手のプライベート情報
元横浜DeNAの牛田成樹や西山圭二選手(100期生)とともに
甲子園出場の経験がある。
その時は4番兼控え投手として出場し本塁打2本打つ活躍をしている。
その後小倉竜二に師事し競輪選手となる。
前述したとおり
学校成績が2位と成績を残しているので
期待の声も大きかったが
グレードレースでは鳴かず飛ばず。
12年の豊橋記念でのグレードレース初優勝から
19年に7年ぶりのグレードレース制覇をし
涙を流したのが記憶に新しい。
そんあ阿竹智史選手派やはり野球男児だったからか
かなり厳しい性格の持ち主だ。
嫌われているという意味ではなく
真面目に厳しいということだ。
強豪徳島の選手としてベテラン域に
なったため後進育成は勿論
今後の徳島の競輪を発展させるべく
指導には気合が入っている。