
2003年に立川競輪でデビュー。
完全優勝に手がかかるも決勝で落車し骨折する。
だが怪我明けからは快進撃を続け
半年でS級に特昇している。
2005年に年間獲得賞金上位者として
KEIRINグランプリ05に出場するほどの快進撃を遂げた。
KEIRINグランプリ05に出場していたため2006年のヤンググランプリは辞退。
その後は快進撃の勢いが収まり勝てない日もあったが
2008年の最後のふるさとダービーを優勝し
ふるさとダービーの最後の優勝者として競輪界に名を刻んだ。
その後9年から13年
15年から19年までS級S班に所属し競輪界トップ選手となった。
齢46歳のと勢いが落ちてきていることもあり
絶対人気選手とはなくなったが
それでも去年までS班選手だったこと考えると
武田豊樹選手に投票するのは手堅い。
▼武田豊樹のプライベート情報
北海道出身で元々はスピードスケートの期待の逸材だった。
長野オリンピックの金メダリストの清水宏保よりも好成績を収めたこともある。
その後はスピードスケートに伸び悩み競輪選手へ転向。
だが学科試験で不合格となり
偶然にも清水宏保と出会いスピードスケート選手に出戻り。
ソルトレークオリンピックに代表として出場し
500m8位、1000m16位となった。
そのタイミングで競輪学校入学の年齢制限が引き上げられて
再度競輪選手を目指す。
異種目からの転向は植松仁選手に続き二人目で特別試験で合格
学校成績は3位と競輪でも期待される選手だった。
現在S級S班の平原康多選手とはゴールデンコンビと称されており
二人が出走するレースは関東勢に注目が集まる。
現在は後進育成にもしっかり受持しており
弟子の牛山貴広選手や今井裕介選手が弟子。
教育にはかなり厳しくラインで勝てたとしても強く叱責している。
13年までS級S班だったが
高知記念での違反により
高知競輪出禁と5カ月のあっせん停止でグランプリ出場が出来なくなりS班陥落した。
この事件がなければ19年までS班を維持していたとされる。



