
1994年に小倉競輪でデビュー。
デビュー戦初日は8着だが最終日に1着を飾った。
95年にS級へ昇格(当時はS級3班)
1班に入ったのは98年からで
2009年にS級S班入りし
17年までS班の地位を守り抜いた。
12年と16年の競輪グランプリで優勝しグランプリ王者にもなっている。
有名なのは2002年の寛仁親王牌決勝で松本整選手と伊藤保文選手とラインを組み
松本整選手を優勝に導き
松本整選手の優勝を泣いて祝福し松本整選手と抱き合う姿だ。
松本整選手は村上義弘選手の大先輩にあたり
その先輩へ恩返しできたことへの感謝と感動で泣き
今までで一番うれしいレースと振り返っている。
ちなみにこの直後にG2ふるさとダービーを優勝し
さらにG1全日本選抜競輪を優勝しグランプリに初出場を果たした。
2010年には村上博幸と兄弟でワンツーも果たす活躍をしている。
昔は先行特化の選手だった。
憧れが滝澤正光選手だったからだ。
だが現在は両脚に変更されている。
果敢な先行姿が村上義弘選手らしい姿だが
今は番手援護からしっかりと差しに行く勝気なレーススタイルに変わっている。
まだ成長を続ける46歳の活躍に注目が集まる。
▼村上義弘選手のプライベート情報
デビューから一貫して先行マニアだった。
憧れの滝澤正光選手の憧れからだった。
無謀だろうがどんな時でも先行して勝ち取っていた。
そのおかげで競輪選手の中でも代表する先行選手となったのは有名だ。
ファンからも先行日本一の名の呼び声が高い。
「魂の走り」「魂」と村上義弘選手の走りをそう呼ぶ。
現在は番手の仕事もこなす選手に様変わりしている。
これにより若手選手が前受けの位置を取りやすくなった。
情に厚く激しい気性の持ち主。
食事制限から練習まで非常にストイック。
自身のロードレースチームを持っており
ロードレースの大会に出場していたこともある。
現S級S班の村上博幸選手の師匠でもある。