
2010年に高松競輪でデビューする。
デビュー戦初日は8着だったが二日目に初勝利1着をもぎ取った。
S級に上がったのは14年と成長は遅いが着実に力は付けていた。
だが不運なことに落車怪我が繰り返しで中々に厳しい状態だった。
また17年には頸椎の骨折をしており後遺症一歩手前の状態にも陥った。
だがひた向きに努力をしている彼に神は微笑んだのか
18年は競走得点100点を超え安定した成績を残している。
怪我明けで覚醒した数少ない選手の一人だろう。
追い込みから自在型へ転向しているのも一つの転機だった。
19年はF1優勝一回のみだったが20年は失格の恵まれもありG2共同通信社杯を初優勝している。
それは1位の山田英明選手が失格だったので素直に喜べないが
今年は全体的に入着階位数は増えているので
九州のホーム大会でもある火の国杯争奪戦での活躍に期待が掛かる。
▼中本匠栄選手のプライベート情報
競輪学校は44位と真ん中の成績でデビューした中本匠栄選手。
デビューしてからすぐに頭角を現したわけではなく多くの落車や怪我に悩まされて
底から這いあがった大器晩成型の選手。
頸椎骨折という大けがからの復活は当時
競輪界を驚かせた。
しかも走り方に磨きがかかっているというのは
驚きを隠せなかったのを覚えている。
だが異常なまでの成長といったわけではなく一皮むけて
S級1班選手らしい安定した走りが出来るようになっていた。ということ。
負けず嫌いだが努力は隠したがりで
ファン目線からしたら目立ってはいないが
仕事はキッチリとこなすので
九州選手の中でも人気が高い。
33歳とそろそろ脂の乗った時期に入るので
もう一皮むければグレードレースの優勝も視野に貼るだろう。
逃げ捲りのスタイルから番手主張の自力捲りや差しが目立っている。
自力型としてはまだ経験浅いのでこれからの成長に期待が掛かる選手。